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ノルウェーノーベル委員会・会長スピーチ

ノルウェーノーベル委員会・会長スピーチ

ノルウェーのノーベル平和賞委員会会長のスピーチ

話者:ノルウェーのノーベル平和賞委員会会長オレ・ダンボルト・ミュール(Ole Danbolt Mjøs)(2006年12月10日、オスロにて)

 

陛下、殿下、受賞者の皆さん、閣下、並びにその他ご参列のみなさん、

「ノルウェーノーベル平和賞委員会はこのたび2006年のノーベル平和賞を2つに分け、ムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行の両者に対し、以下に述べる経済的かつ社会的発展に貢献した栄誉を称えて賞を授与することを決定しました。永続的な平和は、多くの人々が貧困を抜け出す道を見つけられなければ、達成できません。マイクロクレジットはそのひとつの手段です。貧困層が経済的に成長していくことにより、民主主義や人権回帰の流れも前進します。」

 

以上の言葉は、ノーベル平和賞が発表された今年の10月13日に述べられた言葉です。本日待ちに待ったこのお祝いの時がやってきました!ムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行、ノーベル平和賞の受賞おめでとうございます!そしてグラミン銀行を代表して賞を授与されるモサマット・タスリマ・ビガン(Mosammat Taslima Begum)氏もおめでとうございます。

 

ノーベル研究所でこの賞の発表を報道した記者たちの多くはあまりユヌス氏やグラミン銀行のことを知りませんでした。中には、グラミン銀行が人間だと思っていた人もいました。でもこれは報道者の問題でしょうか。両者のことを知っていた人たちの多くは、だいぶ前から彼らがノーベル平和賞を取るべきだと思っていました。2002年にはビル・クリントンが「ユヌス博士はずっと前にノーベル賞を取るべき人物であるし、私は彼がノーベル賞を取るまでずっとそう言い続けます」と述べています。ユヌス氏がノーベル賞を受賞した今、クリントンはもう私たちに念押しする必要はなくなったでしょう。

 

今年の賞は国際的にも、ノルウェーでも、そして特にバングラデシュにおいては、非常に受け入れられています。私がノーベル平和賞委員会の会長としてオスロにあるノーベル研究所で壇上にあがり、今年の平和賞はユヌス氏とグラミン銀行に授与すると発表させて頂きました。その決定に、誰も異論を示すことはなく、政治家や世界の大部分を占める紙面では、大いに褒め称えながら、ノルウェーノーベル平和賞委員会の選択についてコメントを掲載し始めました。そして信じられないことに、バングラデシュで喜びのデモ行進が起こっているのです。数日間は、幸せに酔いしれていて国が機能しなかったと言っても過言ではありませんでした。多くの人が、これは1971年にバングラデシュが独立して以来最大の出来事だと言っています。

 

ここ数週間で、ユヌス氏のとても興味深い話の概要に詳しくなった人が増えてきています。彼はアメリカで経済学を学んだ後、1972年にバングラデシュに戻り、チッタゴン大学で経済学者として教鞭を取りました。1974年にバングラデシュが飢餓に見舞われると、彼は個人的に衝撃的な経験をしました。目の前の貧困を目の当たりにして非常にショックを受けたのです。彼は自分に問いかけました。「自分を取り巻く人々が飢えで死んでいってるというのに、巷に広まっている経済学の理論に何の意味があるんだろうか?」。1976年の初めに、彼は貧しい人々のために銀行を創ろうとひらめきました。自分のポケットマネーの27ドルを、バングラデシュの小さな村にいる42人の職人に貸して、自分の生活に余裕ができたらお金を返してくださいね、と伝えました。それから数週間、そのことにずっと考えを巡らせた挙句、組織的な解決策が必要だという想いに至りました。

その結果が、グラミン銀行でした。グラミン銀行は今やバングラデシュの何千もの村々で大きく広がっており、1983年に正式に開業して以来、約60億ドルものお金を貸し付けています。今では、グラミン銀行は約700万人の借り手がいます。グラミン銀行は年間8億ドルのお金を貸し付けており、ローンの平均融資額は100ドル強です。グラミン銀行は自己金融によって資金調達をし、利益を生んでいます。返金時の利率はとても高いです。ムハマド・ユヌス曰く「貧しい人には相応の額のお金を貸し、少しだけ健全な金融の原則を教えることで、彼らは自分たちで何とかしようとするのです」とのことです。

今年のノーベル平和賞によって、ノルウェーノーベル平和賞委員会はイスラム世界との対話や、女性の視点、貧困撲滅といったテーマに焦点が当たることを祈っています。

 

まず一つ目に、私たちはこのノーベル平和賞によって、世界のイスラム圏の人々との歩み寄りは可能であるということを示すことができればと願っています。2001年9月11日以来、イスラム教が悪者扱いされる傾向が拡大している様子が見られます。ノーベル平和賞委員会にとって、西側諸国とイスラム圏の間にあるギャップを狭めようという努力は重要な務めです。ユヌス氏とグラミン銀行へのノーベル平和賞は、イスラム圏であるバングラデシュおよび対話と協調を働きかけている世界中のイスラム圏の人々にとっても、支えとなっています。大抵私たちが話すのは、イスラム圏の人々が西側諸国からどれだけたくさんのことを学ばなければいけないかという、一方向の視点に立った話題ばかりです。しかし、マイクロクレジットという話題になると、逆方向が真実となります。つまり、西側諸国がユヌス氏や、バングラデシュや、イスラム圏の人々から学んでいくのです。

 

二つ目に、今回のノーベル平和賞は女性を中心に据えています。95%以上の借り手は女性であり、女性の解放はユヌス氏やグラミン銀行にとって大きな関心事です。女性に重きをおくことは、彼らの任務が成功するために最も重要な要素となっていることでしょう。そもそも女性だけではなかったのですが、女性の割合は急速に増えていきました。ユヌス氏の言葉を借りれば、「女性にとって、グラミン銀行の貸付は一家において非常に効果があるものだと考えられています。今日ではさらなる調査は必要ありません。子供たちはもっとよい衣服や食料にありつけたりと、自動的に恩恵を被っています。変化は一目瞭然です」とのことです。男性は借りたお金を自分自身に費やすことが多いのですが、女性は家族のために費やすことが多いです。グラミン銀行の業務はバングラデシュにおける社会的な革命を起こしているようなものです。借り手のひとりである、マゼダ・べガム(Mazeda Begum)さんはこの状況を。「両親は私に命を与えてくれましたが、グラミン銀行は私に人生を与えてくれたのです」と語っています。今日では、マイクロクレジットは「女性のエンパワーメント」を指す言葉にまでになっています。

 

マイクロクレジットは、特に女性が抑圧的な社会・経済状態に対して闘わなければならないような社会から解放する力を持っていることを証明してきました。もし地球上の半分を占める女性が男性と平等な立場で寄与できなければ、経済成長や政治的な民主主義の効果を最大限に発揮することはできないでしょう。

 

三つ目、これが一番重要なのですが、私たちは貧困と闘い、社会・経済的な発展を遂げなければなりません。ムハマド・ユヌス氏は彼自身がリーダーとなることで、バングラデシュだけでなく多くの他の国々にいる何百万の人々の利益を求めて、ビジョンを実際のアクションに落としてきました。今日ではノルウェーを含む100近い世界各国にマイクロクレジットのプログラムがあります。貧しい人々、多くの場合は女性なのですが、彼らに対する貸付けは何の財政的補償もないので、不可能なアイディアのように思えました。30年前にゆっくりと始めてから、ユヌス氏は、グラミン銀行を通じて初めてかつ真っ先に、マイクロクレジットを貧困に対する史上最強の道具として発展させてきました。グラミン銀行はアイデアの原点であり、また、世界中で急速に現れてきたマイクロクレジット領域の多くの組織体のモデルとなっています。

 

数はすぐに倍々に膨れ上がります。しかし、その各々の数の裏側には、それぞれの人間模様があるのです。地球上にいる一人一人の人は皆きちんとした生活を送るポテンシャルと権利を持っています。文化や文明を超えて、ユヌス氏やグラミン銀行は、貧しい人々が自分たち自身の成長を求めて働くことができるのだということを示してきました。ユヌス氏の言葉を借りれば「マイクロクレジットは、十分にテストされ、かつ、十分な根拠を備えた手段であり、最貧困層の人々に金融サービスをもたらすことができます。マイクロクレジットは起業家精神を促進し、貧しい人々一人一人、特に女性を、自分の人生の運転席につかせるのです」。乞食でされグラミン銀行の借り手になっています。ユヌス氏は、施し物が貧しい人々の主体性や創造性を破壊するのだと固く信じています。

 

ユヌス氏がベンガルの衣服を着てうろうろと歩いていると、現代版ガンジーだと時々言われます。彼は最貧困層の銀行員とも呼ばれています。そしてグラミン銀行、つまり村の銀行を意味しているのですが、これは貧しい人々のための世界最大の銀行です。預託金によって、グラミン銀行の94%を貧困層の人々が占めています。残りの6%はバングラデシュの政府によるものです。グラミン銀行は普通の銀行とは異なる哲学に基づいています。ユヌス氏曰く、マイクロクレジットはお金よりも人に着目しています。人を信じられるかどうかの問題なのです。クレジットは信用を意味します、つまり誰かに「信用」を与えることなのです。

 

貧しい人々は自分たちでグループを作ります、大抵5人の女性から成っています。そのグループに対して、貸付が認められたり、返済の責任が生じます。グループではお互いの借り入れ状況、仕事、返済、貯蓄といった感覚に敏感になりやすくなります。メンバーは、食料、きれいな飲み水、衛生面、健康面、家族計画、経済面、規律、コミュニティ、グループや家族におけるモチベーションといったもののために働こうとします。草の根レベルでは、グループであることがそのようにコミュニティの形成を支えています。責任感があると思われる女性の集団は、最近ではワクチンや健康プログラムを始めるポイントにもなっています。

 

世界の貧困に対する戦いは、生存のための実存的な戦いです。今日では、ざっと世界の半分の人口が1日2ドル以下で生活をし、100万人以上の人が1日1ドル以下で生活をしています。つまり、地球上の大半の人が貧困であることを意味しています。さらに貧困層の中心は女性か子供です。これはおそらく、今後数十年間かけて世界が立ち向わなければならない最大のチャレンジになるでしょう。世界中のあらゆる国や国家が貢献していかなければいけません。恥ずべきことに、世界の半分以上の人がこのような状況下で生活しているのです。貧困との闘いは平和を実現するための最初に取り組むことです。

 

国連の事務局長であり、ノーベル平和賞受賞者のコフィ・アナンは、「今日の境界線は国と国の間にあるのではありません、権力を持つ者と持たざる者、自由な者とその奴隷になっている者、特権階級者と服従者の間にあるのです」と言っていました。国連のミレニアム開発目標の1番目の目標は、2015年までに世界の貧困を半減させることです。このゴールを達成するために、あなたが、あなたの国が、国家的なリーダーがこの挑戦に一緒に立ち向かってくれるでしょうか?長い道のりだとは思います、しかし一緒に旅しなければいけないのです。目指す目的は世界の公正な平和です。ここでいう公正とは、尊厳を持った生き方を指します。ノルウェーノーベル平和賞委員会は、「平和の維持は、大多数の人々が貧困から抜け出す道を見つけなければ成し得ない」と強調しています。公正な平和は、ムハマド・ユヌスやグラミン銀行が寄与してきたような手段を通じて、下の方から積み上げられてくることでしょう。

ノルウェーノーベル平和賞委員会は、採択される平和の概念とはどのようなものであるか、よく質問されます。この質問は今年も聞かれました。ムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行が受賞した今年の賞に対する反応は概ね好意的なものでしたが、中にはマイクロクレジットが平和とどう関係があるのか尋ねる人もいました。彼らにお答えしましょう。

 

平和の概念の起点は、いつもアルフレッド・ノーベルの想いにあります。しかし実際には、ノーベルが彼の想いの中で述べていた平和賞の3つの基準があります。その3つというのは、「国家間での友愛」「軍隊の廃止や削減」「平和会議の維持」に働きかけていることです。しかし、そこに示されているのは最低限の線引のための方向性だけです。ノルウェーノーベル平和賞委員会自身が平和の概念を解釈し具体化する余地は十分に残されています。1901年以来、このことについてはずっと議論されてきていますが、議論が起きる場合も、委員会の中でよりもむしろ公の場で議論されてきていました。正に第1回の平和賞受賞者であるアンリ・デュナンとフレデリック・パシーが受賞した時も、ほとんどの人が平和主義者のパシーを認めました。しかし何人かの人は、デュナンの受賞に疑問を投げかけました。彼の業績は平和と関係があったのでしょうか?確かに赤十字は戦争が起きると素晴らしい活躍をしましたが、彼らは戦争を防ぐために何かしたでしょうか?

 

初期の頃の平和賞は、政治家や、私たちからみたら人道主義的な組織や人々まで、様々な方面の平和活動家に贈られていました。さらに委員会は人権のキャンペーンを行う人たちにも平和賞を授与し始めました。そこで再びすぐに反論が出たのです。人権と平和に何の関係があるのか?このような権利を強調するのはかえって対立を招くのではないか?と。しかし、1980年代になると、エマニュエル・カントの民主主義と平和の関係性に関する分析に興味を持ち始めた政治科学者が増えてきました。やがて、多くの人が、民主主義は平和的なものであり、少なくとも他の民主主義と関連性がある、という結論に達しました。これが今日では現代政治科学の分野で最も「強力な」発見の一つとなっています。ノルウェーノーベル平和賞委員会が何十年も行ってきた見解に対して、科学が今やほぼ満場一致のサポートをしてくれていることに満足しています。

 

2004年には、ノーベル平和賞委員会は環境資源の枯渇と戦争や対立の間には関係性があると主張しました。この年は、貧困に対する闘いがテーマでした。それと平和に何の関係があるのでしょうか?これはノルウェーノーベル平和賞委員会だけがこの年に思いついたことではありませんでした。これまでの多くの受賞者達は貧困と闘ってきました。人道支援と貧困との闘いとの区別はもちろん曖昧で、赤十字が3度平和賞を受賞したり、国連難民基金や国境なき医師団、マザーテレサなどの受賞が示すとおりです。さらに、ノーベル平和賞委員会は国連食糧農業機関(FAO)の創設者であるジョン・ボイド・オアや、緑の革命を裏で支えたノーマン・ボーローグにも賞を授与してきました。このように基本的には、この年の平和賞は受賞を期待された方々が多くいたにもかかわらず目新しさに欠け、貧困を克服するための手段としてのマイクロクレジットは平和賞という面においては完全に新参者とみなされていました。

 

常識めいたものは侮辱はされないのです。大抵の人は同意してくれると思いますが、裕福なヨーロッパではここ何十年も平和な状態である一方、困窮状態にあるアフリカで多くの対立が生じているという事実は、生活状態と関係があるに違いないのです。その因果関係は複雑で、ひとつの要因だけが関与していることなどほとんどないのです。それにもかかわらず、私たちは貧困と対立の間には関連性があるに違いないと直感的に信じています。しかし私たちは直感だけを頼りにする必要がなくなってきました。2005年の人間の安全保障報告書(Human Security Report)の中にこのテーマの調査の要旨があり、「実際に、対立に関する調査の中で見えてきた最も衝撃的な発見の一つは、大抵の戦争は貧しい国々で起きており、さらに、国民一人あたりの所得が上昇すると、戦争のリスクは下がる」と書かれています。これは、貧しい人々が必然的に経済的豊かさよりも争いを選んでいると言っているわけではありません。中央政府の資源が重要なのです。もっと国が経済的な発展を遂げるには、対立を増やすような問題を解決するような資源を増やさなければいけないのです。

 

これだけが貧困から抜け出す道であはありません。貧困から抜け出す方法はたくさんあります。しかし今年は、ノルウェーノーベル平和賞委員会は特にマイクロクレジットに焦点を当てたいと思っています。この手段によってバングラデシュではよい結果がもたらされました。ここのところ、バングラデシュはかなりの経済成長を記録してきました。この成長の一端は、グラミン銀行やその他のマイクロクレジット関連の団体のおかげであることは間違いないでしょう。この手段の利用を増やすことは重要になってくるはずです。

 

「Banker to the poor(邦訳:ムハマド・ユヌス自伝:貧困なき世界を目指す銀行家)」という本について。グラミン銀行の話の中で、ユヌス氏は貧困のない世界を想像することは本当に可能なのだろうかと問うています。彼自身の答えは以下の通りです。「私たちは世界から奴隷を解放し、ポリオを撲滅し、アパルトヘイトを廃止してきました。これらの問題解決はさらに強化していかなければならないものですが、世界から貧困を撲滅することはこれらを達成したことよりもさらに偉大なことでしょう。

 

西暦750年頃の、中国の詩人である杜甫が書いています(ピーター・ビルトンの英訳より)


Swarming cities are smithies for swords 

Better forge a ploughshare, forge a harrow 
Where there now are tears and sand 
There would be silk and corn 
The widow would be a farmer's wife at her silk loom The soldier a farmer behind his ox and plough 
Our silent people a choir in a song 
For two voices, singing of silk and corn.

 

今日、ノルウェーノーベル平和賞委員会はムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行が行ってきた、何千人ものバングラデシュや他の国の一般の人々に対する何千もの功績を讃えたいと思います。ノーベル平和賞が貧困のない世界を目指す活動を続ける上で、気持ちを奮い立たせる源となることを私たちは願っています。それは次の数十年で私たちが目指すゴールなのではなく、私たちはすでにその道中にいるのです。今日はムハマド・ユヌス氏とグラミン銀行のお二人を盛大に祝福いたします。(ベンガル語で)みなさんに温かな祝福を! 明日から貧困のない世界の達成にむけて急いで動き始めましょう。